音楽と生活と私

音楽や日常や映画やドラマついて主に語るブログです。

知ること。考えること。発信すること。

人って、自分が当事者にならないと本腰を入れて問題を考えたりしづらい。

 

 

例えば、隣の部署の部長が部下にパワハラしていて、そのせいで部下が育たずどんどん辞めていってるのを知っていても、「〇〇部長がパワハラしてます。」って人事に言ったり、更に上の役職である人に報告したりする人って、そんなにいない。

 

正直、私もしない、というか出来ないですし。

 

何故なら、それをすることで会社での立ち位置が危なくなると思ってしまうから。

 

でも、いよいよその部署だけでは仕事が回らなくなって、仕事が山盛りガッサーとこちらの部署に投げ込まれたりしたら、話は変わってくるのに。

 

「おい!おかしいだろ!」って言わなきゃいけなくなるのに。

というより、なんなら部署で団結して反対したりしてね。

 

 

でも、よく考えたらそもそも、最初から部長のパワハラを上に訴えるなりなんなりしていれば、ここまで大きなことになる前に事態は解決出来ていたかもしれない。

 

部長のパワハラが原因で辞めた部下の人生を救えたかもしれないって、気付くのは全て起きたあと。

 

 

 

 

 

 

なんて、自分ごとに落とし込まないと、頭の中で想像が出来ない世界がある。

 

ぼんやり生きてしまうと、私はいつも自分本位だし、自分の周り以外の問題から目を背けて生きてしまう。

 

私は日本で生きているから、日本の問題にばかり目を向けてしまう。

 

今、海の向こうで起きているデモを、自分ごととして考えなくてはいけないのに。

 

 

 

今、私がまずしなくてはならないのは、知ること。

今日も世界で生きている人の苦しみを知ること。

 

そして「おかしい」と言うこと。

違うと発言すること。

 

いろんな考え方があって、いろんな捉え方があるけれど、人が苦しむ空間を人が作り出すのはやっぱり違う。

 

もしかしたら、どんなに頑張っても、みんなが幸せに暮らすことは出来ないのかもしれないけど。

 

議論をやめてしまえば、そこで終わり。

何も変わらない。

 

救われなかった魂が伝えたかったことが、後世まで届くように。

 

今、大切にされるべき命について考える。

 

#BlackLivesMatter