音楽と生活と私

音楽や日常や映画やドラマついて主に語るブログです。

疲れた時の話

こんばんは。

 

寒い日が続くと、なんだか憂鬱な気持ちにもなりますね。

あと、体調を崩すのがとても怖くなります。

 

暑い方がなんだかポジティブな気持ちで生きれる気がするのは、多分私が夏生まれだからなんでしょうね。

 

さて、そんな訳で今日は、疲れた時の話です。

かなり大雑把な話になります。

 

 

私は、日常的にはポルノグラフィティを聴くんですが、本格的に疲れた時はあえて聴かなかったりします。

なんですかね、「ちょっとまだすっぴん!今、こんな顔で会えないよ…」みたいな、そんな心のおめかしが足りない状態だと聴けないというか。

 

そんな時、私はMr.Childrenを聴きます。

特に90年代の曲。

なんだか、ちょっと昔の曲の方が落ち着くんですよね。

リアルタイムでは聴いてないはずなんですけど、2018年に聴いても馴染むんですよ。

 

あと、なんだかんだ言って、私が生まれた90年代っていう時代が好きだからかもしれないです。

不況とはいえ、新しいモノが溢れてみんなが新たな価値観を持っていった時代ですよね。

 

勿論、今もずっと新しいモノは出てきてますし、価値観もどんどん変わってるんですけど、やっぱりインターネットよりスゴいモノってそうそう出てこないですよ。

 

インターネットがあるからこそ、こうやって部屋でスマホをポチポチしながら文章を打てる訳で。

そんでもって、こんな拙い文章を読んでくれる人がいる訳で。

線とかで繋がなくても、世界中が繋がってるって凄いですよ。

 

でも、こんだけインターネットで色んな人や国の価値観を知っているのに、まだまだ犯罪は起こるし、戦争も起こる。

勿論、その全てが何か理由があってのことだとは分かってはいても、やっぱりどうしようもないんだなって感じることも増えた気がします。

 

あ、世界平和とか、そこまでデカイ話にしたかった訳ではないんです。

ただ、価値観の違いを知っても、認めようとしていない人の存在が、どうにも無視出来ないくらい大きくなってきたなって思いまして。

 

インターネットは、人と人を繋げる。

けど、時に繋げてはならない人とも繋げてしまうんですよね。

 

男だから、とか。

女だから、とか。

そんな論争を見る機会が増えて。

 

お互い、責任を押し付けあい、貶しあう。

男と女がいなきゃ、自分も存在していないはずなのに。

 

日本は、性別に捉われすぎですよね。

男だから稼げて当然とか、女なら男のサポートに回って当然とか。

そうやって押し付けられた役割を全うできずに消えていった命が、これまで一体どれだけあるんだろうなって思うんですよ。

 

血液型占いの4種類でさえ、「当たってない!!」って思うのに、性別はたった2種類しか用意されてないんですよ。

人の種類が、特性が、2つしかないはずないじゃないですか。

生きてる人の数だけ、特性がありますよね。

 

価値観の違いこそが、人が人として生まれた特権なのに。

その違いを認めないなんて、なんて不幸な人生なんだろう。