音楽と生活と私

音楽や日常や映画やドラマついて主に語るブログです。

女として生きる話。

こんばんは。

 

 

クリスマスが終わりましたね。

今年も、特に何ということなく、平穏に終わりました。

去年はインフルエンザで倒れてたので、とりあえず一安心です。

年末仕事納めの日まで、気を引き締めなくてはなりませんね。

 

 

 

 

さて。

クリスマスも終わったので、私はちょっとハッピーではない文章を書きます。

夜考え出すと、文章にしたくなるんですよね笑

 

 

 

突然ですが皆さんは、クリスマスに恋人と過ごしたいとか考えたりしますか?

 

私はぶっちゃけどうでも良いかな、って感じなんですが、それには色々と訳があります。

 

私自身が、男女っていう性別に対して疑問を感じることが多いからです。

 

今でこそ、LGBTのことも知られるようになり、男女だけでない性別も認められるようになってきました。

が。

相変わらず、男性や女性に対しての考え方って、変わらないですよね。

 

私は女として生きているので、男性側の気持ちを本当の意味で知ることは出来ませんが、やっぱり辛いこともあるはずです。

 

ただ、ここで私が男性が辛いって話を書いてしまうと、体験してない人間が想像で書いてるってことになっちゃうのでやめます。

 

 

 

なんでことあるごとに、こんなに性別の話をしているんでしょうかね。

私自身も、こんなに不満があったんだ、って驚きすらあります。

でも、正直言って、不満だらけです。

 

 

好きな服も、好きな音楽も、好きな映画も、好きなドラマも、好きなものぜーんぶ。

性別ありき、で作られていることに、ちょっとずつ、疲れてきているのかもしれません。

 

私は常日頃、性別なんてなかったら良かったのに、って思っています。

生まれ持った性質に性別なんてものはなくて、ただ得意なこと、不得意なこと、好きなこと、嫌いなこと、があるだけで良いと。

 

むしろ、話が広がっていくと、男女の脳の構造の違い、なんてのも、本当は殆どないんじゃないか、とも思います。

 

ただ生まれた場所で、男として、女として世間から価値観を植え付けられ、育てられたから、違いとして出ているだけなんじゃないかと。

 

女として生きる場合、物心がついたらまず男は危ないと教えられます。

道を聞かれても返事をしちゃいけないとか、学校からの帰り道は必ず友達と一緒に帰るように、とか。

 

そして、男の子はヤンチャだから多少のイタズラは許してあげなさい、と教えられます。

男の子はそれを聞いて、もしくは感じて、きっと「俺たちは女の子になら何をしても許されるんだ」と学んでしまうでしょう。

 

こんなことばかりです。

男性は気付いていないかもしれませんが、ずっと優遇されて生かされてます。

いい加減、認めて欲しい。

 

でも、これら全部なかったとしたら話は別です。

男女で考え方の違いがあるとか、どちらかが許され、どちらかが我慢する、という構図がなかったとしたら、全然別です。

 

いやいや、子供だし理解出来るかどうかは個人差あるでしょっていう意見もあるかもしれない。

じゃあ、理性でコントロールできる部分は、脳の構造の違いで判断していい場所ではないと仮定しましょう。

でもやっぱり、性別の構図が歪であると判断せざるを得ません。

 

こんなことを言えば、女は男に奢ってもらえる、だとか、高い物をねだれば買ってもらえる、だとか。

そんなことを張り合いに出したがる人もいるかもしれません。

 

じゃあ、逆に聞きますが、女になりたいですか?

 

毎日化粧して、会社で必死で仕事をこなしているのに男性社員が優遇されて、結婚しなけりゃ結婚は?と聞かれ、結婚したら子供は?仕事は辞めるよね?と聞かれて育児休暇で戻っても入る場所はなく、それならとパートで働いても、家事育児は丸投げされて、それでも文句を言わない素晴らしい母を夫や世間から期待される。

そんな女に、なりたいですか?

 

私が男なら、絶対に嫌です。

 

勘違いして欲しくないのは、私は男性が嫌いな訳でも、憎い訳でもないということです。

ただ、羨ましい。

圧倒的に、羨ましいです、ずっと前から。

なんなら、物心がついた時から。

 

なぜ、私は男の子が着るような服を着ると、変だと言われるのか。

なぜ、私は男の子が好きな戦隊モノを好きだと変だと言われるのか。

なぜ、私は女の子だから大人しくして、と先生に言われるのか。

 

全部全部、女だから叶わなかった。

 

何をしても、何を言っても許されて、人生において圧倒的に自由で、チャレンジ出来るその性別。

ずっと、ずっと、羨ましくて羨ましくて、堪りません。

お金を出して買えるなら、欲しい。

 

生まれた時から男として生きていたかった。

可能性を否定されずに、誰かに脅かされることもなく生きたかった。

海外に旅に出ても、夜中に出歩いても、満員電車も、駅の構内でも、エレベーターの中でも、バスの中でも、性の対象として見られる、獲物として見られる経験が圧倒的に少ない状態で、人生を謳歌したかった。

 

私の人生を、女という性別で奪われたくない。

 

それでも私はきっと、男の人を好きでいる。

今もずっと、こんなに、こんなに苦しんできたのに、嫌いになんてなれないでいる。

 

ずっと辛いのに、女である事が嫌でたまらないのに。

男の人に、女として性の対象として認識されることが苦痛なのに。

人間として接して欲しいと、心から願っているのに。

 

好きな男の人が出来たら、女として見られることに歓喜し、享受し、愛を得ようとしてしまうんだろう。

 

そんな女という性別が嫌だ。

だけどそんな私の気持ちは踏み潰されて、これからもずっと女という性別に縛られて生きていくんだろう。

逃げられない、命の鎖なんだろうな。

 

いつまで、私は逃げられるかな。

女という性別から。