ステージ衣装は似合わない
こんばんは。
突然ですが、やれるだけ、って、めっちゃ便利な言葉ですね。
私はついつい、自分や周りの人に対して使ってしまうのですが、そのせいで「無理して頑張らないといけない時に、チームのやる気が削がれちゃうじゃん」と思われることもあります。
使い方難しいですね。
でも、今までの人生、そう自分に言い聞かせて、ここまで来たんですよね。
毎日しんどいなー嫌だなーと思いながら生きてる中でも、来週はライブ!だとか、来月は映画!だとか、誤魔化しながらなんとか。
ただ、そうやって誤魔化し過ぎて、今どこにいるのか、ちょっと分からなくなってきた今日この頃。
大きく変わりたい、とか言った次の更新がこれってどうなんだよと思いますが。
自分の周りでいろんなことが変わっているせいで、自分の立ち位置がわからなくなってきているのかもしれません。
去年から生きる場所を変えたから当然なんですけど、常に上を向いて生きてたせいで、ちょっと息切れしかけてる感じですかね。
あ、またこんな文章になってますね。
気持ち悪いですね、回りくどくて。
この感じ、なんだろう?って思ってたんですけど、思い出しました。
中学生の頃、とある方の文章の書き方に憧れてたんです。
とにかく文章がきれいで、スマートに見えたんですよね。
言うならば、文章のステージ衣装みたいな感じです。
その書き方に憧れすぎてですね、文章に対してめちゃくちゃカッコつけるようになってしまったんですよ。
あ、カッコつけるというか、極論言うと頭いいですよ、みたいなそんな書き方を真似る、と言ったほうが正しいかもしれないです。
でもそれって、ステージ衣装でスーパーに買い物行ってるみたいなもんなんです。
その文章に対して、その言葉に対して、自分の精神年齢が追いついてなくて、めちゃくちゃ気持ち悪いんですよね。
私は一体、何に対してカッコつけてるのかなぁって恥ずかしくなりまして。
文章には、どうしてもその人の下心が見え隠れしがちですが、それをどうしたら削ぎ落とせるのでしょうか…。
こう見られたいとか、こう思われたいとか。
ご飯食べないで写真撮ることに必死になるなんて、勿体ないじゃんとか思ってたインスタ映えとかとやってること変わらないじゃないかーって、自分にがっかりしました。
今更すぎますが。
だから結局、私はスタート地点に戻っただけかもしれません。
でも、大きく変わるために必要な後進だったのなら、仕方ないですね。
何もないところからのスタートなら、プレッシャーも少し減るかもしれないですし。
文章の書き方から、変えていきます。