音楽と生活と私

音楽や日常や映画やドラマついて主に語るブログです。

行動の理由は後付けでよいと思いませんか

突然ですが、人間ってぶっちゃけ、全然自分が動こうと思った理由に基づいて行動してないと思いませんか。

 

牛丼食べるぞって決めて家を出たのに、信号待ちで見たスマホで、今日期限までのうどんのクーポン見つけたらうどん食べたりしませんか?

私はします。

 

なんか、こう…人が行動を起こす理由なんて、結局後付けでしかないじゃんって思うわけですよ、個人的には。

まあ、場合によっては、こういう状況でも絶対牛丼食べる人もいるかもですが、じゃあ一緒に友達がいたら?同僚がいたら?もしくは途中で出会ったら?って考えたら、最初の行動の理由なんて全部ひっくり返って、全然違う行動したりするじゃないですか。

なんなら、「パスタ食べたい気分だったんだよねー!」って、長居しやすいイタリアンレストラン行っちゃうじゃないですか、多分。

そういう人の動き、なんか愛しいなって思うんです。

私は好きです。人間らしいじゃないですか。

全然自分の思い通りに動けてないのに、後付けで理由付けようとしちゃう感じ。

 

でも、最近なんか自分がする行動全てに、絶対変えない理由を最初につける人が目立つような気がして、ちょっと息苦しいんですよね。

「こう思ったからこうした!これが正しい!」みたいな。

 

なんて言えばいいんでしょうか。

「なんで?」を究極まで追い求める感じです、イメージとしては。

最初の理由をガッチガチに固めて、理由なんてないよ、なんとなくそうした、みたいな行動を嫌うというか。

そういう人は、理由が曖昧な行動を嫌ってたり、無駄な時間を嫌ってたりすることが多くて。

 

例えば映画を一本見るのにも、絶対時間を無駄にしないんだという意気込みからか、ネットでネタバレスレスレ(なんならネタバレか、ファストシネマ)まで調べ上げてから観たり、下手すると早送りで観てストーリーだけ追ったり。

 

人間らしくないなーーーーー!

無駄を楽しめるのが人間の特権じゃないのかーーーい!

っていう気持ちにさせるような、そんな人が周りにも結構いまして。

 

人間が起こす行動全部に理由をつけないと気がすまない病にかかっているのか、いちいち「なんでそうしたの?」って聞いてきたり。

全てが「〇〇だから〇〇した」で成り立つと思っちゃってるのか、理由をつけて説明出来ないものに対して「なんで!?」って言うんですよ。

 

映画についても、あえて何も調べずになんなら公開日に観に行くことに対して、「なんで?面白くなかったらどうするの?」って言われたりするんですが、あえて理由をつけるとするならば…面白くない映画を面白くない、面白い映画を面白いと言える感性を残したいから、とでも言っておけばいいかもしれないですかね。

それで納得するかは分かりませんけども…。

 

価値観は様々ですが、ガッチガチに固めた理由をつけないと行動出来ないのは、ちょっと行動範囲が狭まりそうだな〜と思ったりもします。

 

だから、行動の理由は後付けで。

もし良い感じの理由が見つけられなかったら、「なんとなく」で。

 

明日もなんとなく自動販売機でコーヒーを買ってから電車に乗ります。