音楽と生活と私

音楽や日常や映画やドラマついて主に語るブログです。

大人になるのは外見だけでいいや

今、貪るように音楽を聴きながらブログを書いています。

 

音楽を聴くのは決まってヘッドホンかイヤホンで、周りの音が聞こえない状況にします。

 

だからたまに、呼ばれているのに返事をしない失礼な人になってしまうんですけれども。

 

さすがに四六時中ずっと人の呼びかけを無視するのはよくないですが、たまには、てか1日のうちの数時間だけでも、こういう時間って大切だと思うんですよね。

 

完全な自分だけの時間。

 

晴一さんが今日ブログを更新していましたが、もしかして、これが心をあまやかす時間なんじゃないかなって。

 

 

 

 

私がこんな時間が大切だと思うようになったのは、理由があります。

 

全否定型の上司の下で働いたことで、死を選びそうになったからです。

 

親も、環境も、育ち方も、考え方も、話し方も、伝え方も、全部ダメだ!って言われましたね。

多分、思いつく限り全部です。

 

でも私は当時、正直めっちゃ自分に自信を持っている部分がありまして。

今から思うと、それまでに出会ってきた人に恵まれてたんです。

家族も友人も、認めてくれる人が圧倒的に多かった。

 

ただ悪くいうと、あまりに自信があり過ぎたので、厨二病ですね。

私を悪くいうなんておかしい奴だ、みたいな。

本気でそう思ってたんです。

 

だからとにかく、理不尽な否定に対しては絶対違うと言い返していたんですよ。

 

そしたら、それに腹が立ったんでしょうね、こんなに貴方は悪い人間だと言っているのに、心が折れないなんておかしいよ、って言われたんですよ。

 

今思えば、これ多分パワハラですし、録音でもしとけばお金くらいとれたかもしれませんが、その時にぼっきり心が折れてしまってたみたいなんですよ。

 

なんで、「みたい」って言うかというと、その当時の私は心が折れてるとは思ってなかったからです。

晴一さんがブログで語っていた通り、多分この時に心にナイフが刺さってる状況だったのに、気づかなかったんですよね。

 

むしろ、今すぐに仕事辞めてやる!って腹が立って、その次の日に仕事辞めました。

 

で、辞めた後、アイツの下で働かなくてよくなって清々するぜ!って思ってたはずなのに、急に社会に参加出来ていないことへの後ろめたさで頭がいっぱいになったんですよ。

 

だから「今すぐ働かなきゃダメだ!私の居場所はなくなる!」って焦って焦って、とりあえず1日派遣の仕事に行ったりするんですけど、全く楽にならない。

 

そのうち、もしかして私はやっぱりアイツの言う通り、ダメな人間なんじゃないかっていう気持ちになっていったんです。

 

そしたらですね、恐ろしいことに、選択肢がどんどん減っていくんですよ。

 

最初は、「洗濯を干す」「食器を洗う」「買い物に行く」「明日の派遣の仕事を探す」「観たかった映画を観に行く」とか、色々あったのに、だんだん「死ぬ」って選択肢が目立つようになってくるんです。

 

ダメな人間だからもう生きていたって居場所はない、社会復帰なんて出来ない、それなら迷惑にならないように死んだほうがいい、って極端な考えになっていくんです。

 

私の完全な持論ですが、ぶっちゃけ死ぬっていう選択肢ってどんな人でも、どんな状況の人でも、選択肢としては頭にあると思うんですよ。

 

ただ、それ以外の選択肢が沢山あるから、それは目立たないし、選ぶ必要がないんです。

ベストな選択肢ではないからです。

 

だけども、行動の選択肢が減ってくるとだんだん選ぶ確率上がっていくんですよ。

 

あ、今死にたいな、って頭で選択する回数が増えてくる。

そうなるとヤバいんですよ。

 

そうじゃない選択肢を今すぐ頭の中に持ってこないと、連れて行かれてしまう。

 

感覚で言うとですね、ちょっとアイス食べたくなってきたから、コンビニ行こうかなって頭に浮かんだりすることありますよね?

 

それくらいの気楽さで死にたいなって頭に浮かびます。

地獄ですよ。

 

私の場合は、やばいこのままじゃ本当に死んでしまうって思って、ライブの予定を入れまくりました。

予定を入れないとヤバいと思ったからです。

 

週1でフェスに行きましたね。

月に6本くらい?ライブに行きました。

 

次のライブまでは生きよう、ライブが終わったらよし次のライブまでは生きよう、って思いながら生きていたら、だんだんもっと沢山ライブ行きたいから死んだらダメだなって思えてきて、戻ってきました。

 

期間で言うと、多分1か月くらいですかね。

地獄だったのは。

 

かなり短く済んだのは、私の心を作ってくれた、出会ってきた人が良い人ばかりだったからだと思います。

 

ただ、今回はこれで良かったけれども、心を甘やかさなきゃまたやらかすなって思ったんですよね。

 

自分のことだけを考えて、自分の心がどう思っているか知っておかなきゃだめだなって。

 

心をあまやかす時間は、厨二病も許します。

暴言も、悪口も、全部許します。

音楽聴きながら、メモに書き出したりします。

 

良い人は、悪い言葉を口に出すとダメだとか、思うとダメだとか考えちゃうと思っちゃうんですけど、ぶっちゃけそんなに良い人である必要もないかなとか思ったりしてまして。

 

極論言うと、良い人であることでいつも得してるのって、周りの心ない人達ばっかりじゃないかと思うんですよ。

この人には何を言ってもいい、何をやってもいい、って思わせてるだけなような。

 

だから、まぁ私みたいに本人に態度に出して噛みつくのは危ないかもしれませんが、心の中とか家の中とかだったら、悪口も暴言も許していいんじゃないかと思います。

 

本当はお前のことなんて大嫌いだよ!クソ!って思いながら対応してたら、ちょっとくらいは傷付いた心も報われるんじゃないかなって。

 

心は子供だと思って、否定しないであげてほしいです。

心は大人になる必要ないと思うので。

見かけだけで充分です。

 

だって、5歳の子が友達に「お前なんて嫌いだ!」って言われたら泣きますよ。

 

大人になればこんなこともあるよ、これくらいで悲しくなってる場合じゃない…とか変に大人ぶらなくて良いかなと。

 

…なんか話がとっ散らかってきました。

 

とにかく、私は心はいつまでもワガママで言うこと聞かない子供だと思って生きます。

 

そうでないと、楽しいことを楽しいって全力で思える子供らしい感情までなくなりそうなので。

 

新しい音楽聴くの、まだまだ楽しみます。