さよなら生まれるはずだった感情
日本全国で、いや、世界中でコロナウイルスが猛威をふるっています。
最初は海の向こうの問題だったのが、あっという間にこの国の問題になりました。
本当なら、正しい情報を知って正しい対策を取るためのニュース番組も、今や異質な空気を作り上げているように思えてなりません。
執拗なくらい、感染してしまった人の行動や考え方、感染が起きた場所を叩く。
もはや、一番怖いのはコロナではなく人間だという意見に頷きたくなる。
死にたくないという気持ちがそうさせているのか、単にイライラをここぞとばかりにぶつけているのか。
私は後者なような気もしています。
とは言っても、この現状にイライラする気持ちは痛いほどわかります。
私も行くはずだったギタージャンボリーや、星野源のFCライブ、King Gnuのライブが中止になってしまいました。
King Gnuは振替公演をしようと調整をしてくれているとのことなので、期待をするしかありませんが、やはり悲しいです。
コロナウイルスが人によっては恐ろしいウイルスである特性を持っている以上、ライブやイベントの中止はやむを得ません。
これには納得するしかないです。
予想では、半年、1年と、長期化することが言われています。
いつまで、このムードは続くんでしょうか。
自分がライブに行けないことより、もっと悲しいことは、
中止になったその場所で生まれるはずだった人の感情が消えてしまったことです。
例えば、
学生時代からずっと行きたかったアーティストに、ようやく会えるはずだった
来月から就職で最後のライブになる予定だった
人生で初めてのライブだった
ずっとお世話になっていた人が出るライブだった
そのアーティストが、人生で最後のライブにしようと心に決めていたライブだった
まだまだあります。
沢山の思い入れを持って、ライブを見よう、しようとしていた人がいるはずです。
しかし、そこで確かに生まれるはずだった感情が、跡形もなく消えてしまった。
それは同時に、
生まれるはずだった素晴らしい名曲を失ってしまったということ。
世に素晴らしい名曲を残しているアーティストは、必ず心を打たれるライブを見ていて、その感動を原動力にして曲を作っているから。
その機会を、奪ってしまった。
たった数ヶ月かもしれません。
けれど、その場所で生まれるはずだった音楽は感情は二度と戻ってこない。
音楽で生きている人たち、音楽に生かされている人たちは、その数ヶ月で人生が変わります。
音楽に興味がない人は、きっと
「ちょっとくらい我慢すればいい。」
「ライブに行けないくらい、どうってことない。」
と、大したことに思わないかもしれない。
そして私は明日からもきっと、なんでもない顔をして街を歩いている人を見る。
その度に、その人に生まれるはずだった感情があったかもしれないと思いたい。
さよなら
生まれるはずだった感情
供養の気持ちを込めて。