音楽と生活と私

音楽や日常や映画やドラマついて主に語るブログです。

会津に行ってきました

 

こんにちは。

今日は勤労感謝の日。祝日最高です。

 

にしても寒いですね。

朝からコーヒーを2杯も飲んでしまいました。

11月も半ばを過ぎ、あと1週間すれば12月だから当たり前と言えば当たり前ですが。

もう年末。早いです、本当に。

 

と、このまま書いてるとダラダラ寒いことや年末早いですね話を続けそうなので、ここからは本題に入ります。

10月〜11月にかけて色々ありました。

それを年内に書きたいなあと思ってたんです。

 

 

まず、これは10月よりちょっと前からなんですけど、人生で初めて大河ドラマを観ました。

2013年の「八重の桜」です。

最初は、一番推してる俳優の綾野剛さんが松平容保役で出てるからという安易な理由から見ようと思ったんですが、いやはやこれは想像以上でした…。

なぜ、今まで大河ドラマを観てこなかったのか?と頭を抱えています。

鎌倉殿はもう間に合わないので、来年のどうする家康はちゃんと観ようと決めました。

 

全部で50話あって、今ようやく38話まで来たのですが、いやーーー、すごい。

これ、ノンフィクションがベースなんですものね。

事実は小説より奇なりって言いますけど、本当にその通り過ぎます。

多少はフィクションが入ってるとはいえ、基本的には実際に150年くらい前に起きてたことだなんて信じられなくてですね。

 

ちなみに、八重の桜の舞台は「会津」です。

幕末の戊辰戦争を中心の出来事として描きつつ、起きる前から起きた後の明治時代までを描いています。

実際の歴史をベースにはしてるんですが、会津藩の武士達(と、家族)と藩主の松平容保がどのような心情で生きていたのか、という部分がめちゃくちゃ丁寧に描写されていて、感情移入しまくりました。

 

私自身、会津=会津磐梯山赤べこって印象しかなかったんです、恥ずかしながら。

福島の山間の地域だってことは知ってはいたんですけど、ただ、知識としてだけだったんですよね。

まさか、あんな悲劇があった場所だなんて、思いもよらなかったんですよね。

 

戊辰戦争についても、授業で習った当時は「なんで幕府の味方する藩がいるんだろう?」って思ってたんですよ。それをめちゃくちゃ覚えてて。有名な西郷隆盛がいる薩長側を普通に応援してて。なんで幕府の肩を持つのかわからなかったんですよね。

 

それが、八重の桜を見てから完全に見方が変わりました。

お互いの正義があって、そこが戦争の引き金になってしまった。

会津側で物語は進むので、もちろん会津に肩入れしながら見てたんですけど、話が進むにつれて「良い未来を作りたかった」のはどの藩も同じだと気付いて。(志が高い人たちは)

涙をボロボロ流しながら見ました。

二本松少年隊と白虎隊の悲劇と、鶴ヶ城開城はもう…今見ても多分泣きます。

 

と、そんな状態で、たまたま仙台でBUMPのライブに行く予定があったので、会津若松に行ってきました!

 

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戊辰戦争で1ヶ月に及ぶ鉄砲や砲撃にも耐えた鶴ヶ城です。

ただ、今ある鶴ヶ城は1965年に再建されたもの。

それ以前の鶴ヶ城は、明治7年に政府の命令により取り壊されています。

やっぱり、それだけ会津藩がまた一致団結するのが怖かったんだろうなと思いますよね。

 

石垣だけは一番古いと630年前のものらしいので、石垣を中心にじっくり見てきました。

天守閣周りの石垣が一番古いそうです。

なんだか、歴史を感じます。

この石垣の中で、砲弾から逃れるように人々が暮らしていたんだなと。

 

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そして、鶴ヶ城天守閣に入ろうとしたら、来年の3月まで工事中とのことで…!

また来年も来いってことですね!来ます!と思って付属施設の走り長屋(ミュージアムショップ)・鉄門・南走り長屋・干飯櫓を見てきました。

 

そしたらですね、なんと!

 

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八重の桜の衣装が…!展示されていました…!

もう10年ほど前の大河ドラマですけど、すごいですね…!

めちゃくちゃ感動しました。

聞いた話によると、大河ドラマの舞台になるのはめちゃくちゃ名誉なことで、大河ドラマが終わったら展示館みたいなのが作られるのは恒例なんだとか。

知らなかった〜…

 

と、そういう名誉なことになってるんですよと、150年くらい前に生きた会津の方達に教えてあげたくなりました。

朝敵(天皇上皇と対立した者)と呼ばれてしまった過去を知ってしまっただけに、この大河ドラマが作られたってだけでも、花を手向けることになるのかな、と。

 

ちなみに、会津藩側の資料は薩長側と比べてとても少なかったそうで。

そのことだけでも、事実を知っていた人が本当に当時は少なかったことがうかがえますよね。

今みたいにインターネットはないですから。影響力がデカい人の話を信じてしまう人が多いでしょうし。

本当に悲劇としか言いようがない。

 

 

さて、そんな訳で鶴ヶ城に行った後は、てくてく歩いて、松平家代々の藩主の方が眠っている松平家墓所に行ってきました。

(ちなみに、バスが全然なくて会津若松駅から鶴ヶ城までも歩いていきました笑)

 

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鶴ヶ城から30分くらい歩いたら、松平家墓所に着きます。

こんな感じで入り口に松平容保公の功績が記されています。

そして、この看板の奥に進んでいきますと、出てきます。

 

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森というか山。

ジブリか?と思うほどの山。

そうなんです、お墓は山の中にあります。

ちなみに、二代藩主の保科正経公が亡くなった1657年からこの場所にあるそうで。

360年くらい前からあるって歴史がとんでもなく長いですよね。

 

あと、私は登った後に気付いたんです(アホ)が、熊の目撃情報もちらほら出てるみたいなので、入り口の熊避けの鈴を持っていくのをお忘れなく。

お墓見る前にお墓に入ることになる可能性があります。

 

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山に入ったら、山道をひたすら登ります。

入り口には、松平容保公のお墓まで徒歩40分くらいかかると書いてありますが、これはお年寄りの方をベースに時間計算してるような気がします。

足腰に痛みがなく、ある程度元気な方なら、多分30分くらいで着きます。

私は時間の関係でだいぶハイペースで登ったので20分ちょいくらいで着きました。

 

そして、登った先にありました。

松平容保公のお墓。

見たとき、ようやく本当に実在した方なんだなと思いました。

 

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ちなみに、容保公のお墓はほかの藩主の方のお墓からちょっと離れたところにあります。

実は容保公は亡くなったあと、最初は生まれた家(東京の新宿)近くの正受院というお寺に納骨されていたそうで、あとから松平家墓所に改葬になったそうです。

そういう関係もあるかもしれません。

 

お参りをしたら、山を降ります。

とても爽やかな疲れ。

山の空気がとにかく澄んでいるので、汗をかいても嫌な気持ちには全くなりませんでした。

 

でもさすがに帰りはバスを待ちまして、会津若松駅まで帰ることにしました笑

時間があれば、近くにあった会津武家屋敷も見たかったです…次回はぜひ行きたい。

 

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この日は平日だったからなのか、お年寄りの方が多かったです。

平均年齢は60代。

若い人は私くらいしかいませんでした笑

もしや、こういう場所って若者あんまり来ないのか…

 

そして、複数のお年寄りの方達と一緒にバスに乗って会津若松駅へ。

 

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帰りは山菜そばを食べました。

疲れた後だからなのか、本当に本当に美味しかった…

お腹が空いてきました。

 

という感じで、気づいたら3000文字越してしまいました。

会津に行った話を書きたかったのです。

まだ書ききれてないような気がしますが、とりあえずは今回はこのへんで。

 

次は何を書こう…