花腐しの名古屋舞台挨拶レポ
こんばんは。
めちゃくちゃ久しぶりの更新です。
今回は、10月24日に行われた映画「花腐し」の名古屋の舞台挨拶の簡単なレポを書こうと思います!
※思い出したらちょこちょこ更新します(10月31日現在)
劇場のアートワークも素敵でした!
そして、エレベーター横には…
アートワークの横に立つ荒井監督と綾野剛さんの写真がありました!
名古屋の舞台挨拶に登壇したお二人です。
サインも飾られてました!
ガン見してしまいますね。
さて、ここから下はレポに入っていきたいのですが、その前に注意事項を。
もちろん、録音した訳じゃないので、言葉は一言一句そのままではありません…!
あくまで、ニュアンスのみだと思っていただければ、大変助かります!
流れも、完全にこのままではないと思います…!
また、映画本編の大幅なネタバレはしていませんが、多少は本編に触れています…!
少しでも本編に触れるような言葉があると嫌!という方は、公開後に読んでいただけたらと思います…!すいません。
それでは、レポ書いていきます!
※Xで少しポストしている文章を肉付けしてます
⚪︎入場
シアターへの入り口は一つのため、一般客が入ってきた入り口から入場。
何故か剛さんだけ先に登場していた笑
後ろを振り返ると荒井監督が来ていないことに気付いた剛さんが「あれ…笑?」と戸惑っていた。
その後、すぐに荒井監督も入場。
剛さんが「大丈夫ですか?」と少し気遣っているように見えた。
⚪︎入場後
荒井監督「(会場見渡しながら)これ、18歳未満いるんじゃないの笑?」
剛さん「いないと思います笑」
⚪︎最初の挨拶
剛さん「映画の内容がしんどいので、この時間は楽しんでもらえればと思ってます。そのギャップも楽しんでもらえるかと思います」
⚪︎花腐しの雨の演出について
剛さん「あの…どこなら説明して良いかな…あ、ここからにしよう。」と身振り手振りで。「雨が1円玉の大きさでした。あの、ホースでこう、先をぐっと潰すと、びゃー!って出るじゃないですか?あ、突然びゃー!とか言ってすいません笑。あれが1粒みたいな感じで体に当たってくるんです。歩いたら3秒でびしょ濡れです。雨の中で寝転がるシーンもあるんですけど、溺れそうになるくらいの量です。」
荒井監督「白黒だから、雨の量を余計に増やさないといけなくてね。1.5倍くらい?増やさないと雨が画面に映らないから」
剛さん「映画の序盤の雨のシーン…ごめんなさいなんですけど、ここか!と思ってもらえれば。逆にほくそ笑んでくれたらと思います笑」
⚪︎どうして過去をカラー、現代を白黒にしたのか?
荒井監督「大体は過去はセピアや白黒、現代はカラーじゃないですか。僕は逆がやってみたかったんです。」
→白黒の流れで。
荒井監督「僕なんかもう、毎日白黒の世界だからね」
司会者「いやいや、今日こうやって綾野さんと一緒じゃないですか!」
荒井監督「いや別に、僕綾野くんと一緒に暮らしてるわけじゃないからなぁ笑」
剛さん吹き出す。
⚪︎お互いについて
剛さん「荒井監督はもう、都市伝説みたいな方ですから」
荒井監督「僕、嫌われてるからなぁ笑」
剛さん「いやいや」
→荒井監督の印象について聞かれる剛さん
剛さん「僕、なるべく印象をつけないでいようとしてるんです。…って、都市伝説ってめちゃくちゃ印象つけちゃってますけど笑」
→荒井監督、黙っている。
剛さん「監督、疲れましたか笑?」
司会者「朝から取材続きだったと聞きました」
荒井監督「朝から同じことばっかり言ってるからね。何か違うこと言えないかなって。酒でも飲んでたら話せるんだけどね笑」
剛さん「でも、僕たち最後のこの舞台挨拶を楽しみに頑張ってきたじゃないですか笑!」
精一杯のフォローに会場が笑いに包まれる。
剛さん「見ての通り、監督はシャイですから笑」
⚪︎本物の監督が花腐しに出演した件について
荒井監督「役者さんが監督の役をしても、なかなか雰囲気が出ないから。それならって、本物の監督さん達に出てもらうことにしたんだよね。でも、役者じゃないから演技が下手な監督もいたね笑」
→監督さん達はすぐにオファーを受けてくれたのかについて
荒井監督「僕からの頼みなら、断れないなと思ってね笑」
→実は荒井監督も映画に出たことがある件
剛さん「えっ!本当ですか!観たいです!」
荒井監督「竹中直人の作品に出たんだよ。最初は出る気じゃなかったんだけどね、俺より上の監督がセリフ有りの役もらってたから、断れなかった笑」
剛さん「監督はセリフなしですか?」
荒井監督「俺はなかったね」
剛さん「なかったんですか…。セリフ話してほしいです!」
荒井監督「また今度ね」
剛さん「今の話、絶対覚えておいてくださいね笑?」
荒井監督「綾野くんが撮るなら出ようかな」
剛さん「勘弁してくださいよ笑」
⚪︎花腐しが荒井監督の遺作と言われている件について
剛さん「僕もちょっと聞きました」
荒井監督「この前、入院してたじゃない?その時、言われたんだよ。花腐しが遺作で良かったですねって」
剛さん「やめてくださいよ!まだ撮ってください!」
荒井監督「じゃあ、花腐しが売れなきゃね」
剛さん「皆さん、よろしくお願いします!」
⚪︎キャスティングについて
剛さん「僕は最初、顔合わせはオーディションのつもりでした。会ってみて、やっぱり違うってこともあるだろうし」
荒井監督「僕は本当に出てもらえるか不安で」
剛さん「これ、さっき知りました笑。そんなこと思ってくれてたんだって」
荒井監督「いやいや。君たちの庭みたいなところで(おそらく事務所のある三軒茶屋)、僕1人だったんだから!こっちの方が不安だったよ笑」
剛さん「そうでしたね笑!」
荒井監督「僕、女も男も口説くの下手くそなんだよね笑」
剛さん「いやいや笑」
荒井監督「だから、会いに行く前に色々綾野くんのこと調べたんだよ笑。そしたら、Wikipediaで誕生日同じだ!って気付いて。これしかないって!」
剛さん「僕知ってましたよ笑!」
荒井監督「だから、誕生日同じだねって口説いたよね笑」
剛さん「見事に口説かれました笑」
⚪︎名古屋について(会場からは「おかえりなさい」の声)※剛さんは岐阜出身
剛さん「なんかすいません笑。隣なのに。帰る場所があるって幸せですね」
→荒井監督も名古屋と岐阜に縁が…
荒井監督「大垣市を超えた、垂井ってところに同級生が院長やってる病院があって」
剛さん「そうなんですか!」
荒井監督「そこに毎年行って、名古屋のビルでご飯食べて帰ってきてたね」
⚪︎柄本佑さんについて
荒井監督「あいつは天才肌だよね。説明台詞があると棒読みしたり、飛ばしたりするから笑」
笑う剛さん。
→荒井監督は5歳から佑さんを知っている件
荒井監督「〇〇(覚えてないです…)って映画に出てね。それが楽しかったんだろうね。役者になったよね」
剛さん「佑くん、まさか自分が5歳の時の話をされてるなんて思ってないでしょうね笑」
→そのまま柄本ファミリーについて
剛さん「映画界に欠かせない存在ですよね」
→佑さんの義理の父の奥田瑛二さんも出演していた件
剛さん「本当にずっとカッコ良いですよね。カッコ良い背中を見せてもらいました」
⚪︎最後の挨拶
剛さん「この作品は、皆さんに観ていただいて完成する作品だと思っています。皆さんの中で育んでいただければ幸いです」
荒井監督「観てください。とにかく、それしか言えない笑。あ。そうだ、最後まで観てください。綾野くんファンにとっては、ご褒美みたいな映像があるので」
剛さん「ご褒美?…あ。あれですか!」
荒井監督「そう。意外と最後まで観ないで帰る人がいるみたいだから」
剛さん「そうですね。エンドロールが終わったあと、最後まだ映像があるので」
荒井監督「そこまで言っちゃうんだ笑」
剛さん「いや、荒井監督の作品で最後こんなにオシャレに入れてくるって思わない人がいるかもしれないですからね!」
荒井監督「いやいや笑。あれだよ、中国とか韓国とかだと、エンドロールの途中で幕が閉じちゃうからね」
剛さん「えっ?幕が閉じるんですか?」
荒井監督「そうそう。エンドロール流れてるところで、横からこう幕がサーっと下りちゃう」
剛さん「せっかちですね笑」
⚪︎マスコミ用のフォトセッション中
剛さん「あ、岐阜新聞ですね笑?」
階段上にいた岐阜新聞のスタッフに声をかけていた。
⚪︎フォトセッション終了後
マイクを劇場の方に返しながら、剛さん「あ、すいません!ちょっと皆さんと写真が撮りたくて!」と提案。
会場から歓声。
ジャケットから自前のスマホを出す剛さん。
すぐに横からスタッフ(マネージャー?)が飛んできて、剛さんに別のスマホを渡す。
最初は正面から撮ろうとしていた剛さん。「横が映らないのか…」とぼそぼそ。
スマホを持ってきたスタッフと話し、どうやら斜めからなら全員映りそうというところに着地。
剛さん「じゃあ、正面と斜めから撮ります。映りたくない方は、こう(顔を肘あたりで隠しながら)してください笑!」
まずは正面から撮った後。
剛さん「チェックします笑!」
それから斜めから撮る際、最初は真ん中で撮った位置と同じ場所にいたが、スタッフからもっとカメラの手前に来たほうが…と提案されて、2人とも移動。
剛さん「何度もすいません笑!」
その際、司会者の方も「一緒に映っちゃお笑!」と移動してて微笑ましかった。
そして、写真撮影終了。
剛さん「ありがとうございました!」と笑顔で荒井監督と一緒に退場。
こんな感じでした!
剛さんは会場のお客さんをよく見ようと、後ろの方まで目線を動かしてたのが印象的でした。
荒井監督は、とにかくお茶目な方で所々自虐しつつも楽しそうにお話しされてる姿が印象的でした。
花腐しの公開まであと10日ほど。
それまで余韻に浸りつつ、また劇場で観れるのを楽しみにしたいと思います!
不器用であることは武器だと思う
こんばんは。
もう6月も中旬です。梅雨です。
家から出ずにドラマや映画を観まくっています。
そんなわけで先日、ようやく仮面ライダー555を観ました。
放送開始から20周年ということで、来年映画が公開されるみたいですね。
…すごすぎる。
私も小学生の時に少し観ていたんですが、ホラー展開(人が灰になるとか、人間が思いもよらず怪人になっちゃうとか)が怖すぎて、途中で離脱してしまいまして、ほぼ内容覚えておりませんでした…。
主題歌はめちゃくちゃ覚えてました←
なんでこのタイミングで観たかというと、もちろん放送開始20周年っていうのはあるのですが、1番は綾野剛さんの役者デビュー作だからです。
ということは、2023年が剛さんにとって、役者始めて20年ということでもあるんですよね。
めっちゃ当たり前ですけど、役者デビュー20周年って、やばくないですか?
語彙力というか、感情をうまく表現できる文が思いつきませんけども。
私のこれまでの経験から考えて、20年続けてこれたことと言えば、生きることくらいです。
それ以外は全然続いてないです。
子どもの頃好きだったパズルも、絵を描くことも、歌うことも、続けられませんでした。
だから、それくらい続けてるのがやばいんだってことなんですよね。
で、そんなエモい気持ちの中、先日、映画「最後まで行く」を観に行きまして、改めて綾野剛という役者の演技にひっくり返りました。
もちろん、剛さんの演技力の高さは知っているつもりだったんですが、仮面ライダー555を観た後に最新の演技を観ると、本当に…ひっくり返ります。
正直言って仮面ライダー555の時の剛さんを観て、「すごい!演技が上手い!引き込まれる!」とは全く思わなかったんです。なんなら、滑舌が気になっちゃって集中できないくらいで。
でもそれがまず、私にとっては驚きでした。
だって、私がこれまで観てきた売れてる役者さんたちは、テレビ番組で「ドラマ初主演」だとか言われて紹介される映像の中でも、十分に上手い演技をしていた印象があったんですよ。
でも、剛さんはそうではなく、めちゃくちゃ素人感が満載な演技で、「嘘だろ…?」ってなったんです。
で、同時に思ったんですよね。
今の剛さんの実力をつけるまで、どれだけ苦労したんだろうって。
私はこれまで、どちらかというと剛さんは天才型の役者で、感覚が研ぎ澄まされてる人なんだってイメージがあったんです。
でも、デビュー作の仮面ライダー555をようやく観て、「めちゃくちゃ不器用だから、めちゃくちゃ努力した人だ」って思いました。
どう考えても死ぬほど努力しなきゃたどり着けない場所で戦ってるって。
ぶっちゃけ役者って、ある程度経験を重ねれば体力や精神力をさほど消費せずに、うまく演じているように見せれると思うんです。
言い方を悪くすると、小手先のテクニックで泣くことも笑うことも怒ることも出来るようになるんじゃないかって。
名前は挙げませんが、そうやって演じてるなー?って方も、ちらほら見かけますし。
イメージとしては、「売れてるミュージシャンが売れそうなメロディに売れそうな歌詞をのっける」みたいな感じです。
でも多分、いや、私の予想では確実に、剛さんはそこまで器用じゃないと思うんですよ。
仮面ライダー555を観て、余計に。
必死に役を生きたその生き様が画面に焼き付いているから、目を惹くんじゃないかなと思ったんですよね。
ちなみに、「最後まで行く」で演じている矢崎という監察官は、ギリギリのところを生きている男でした。
その男を剛さんの中で生かすために本当にギリギリで生きたんだろうなと思いました。
そう思わないと納得できない。
…長くなりました。
本当は参考文献やらインタビューやらを紹介しながら書きたかったんですが、時間的に厳しそうなので、一旦切り上げます←
剛さんが役者の道に進んでくれて本当良かったと心から思う今日この頃です。
選択肢について
こんばんは。5月になってしまいました。びっくりですね。
ここ数ヶ月、結構いろいろありまして、毎日が目まぐるし過ぎました。
なんやかんやで、もう1年の半分に差し掛かろうとしているんですね。
最近は暑い日も増えましたし、あっという間に夏になるんだろうなと思ってます。
時間の流れがどんどん早くなってきました。
30過ぎたらどうなるんでしょうか…。
突然なんですが、最近ずっと頭の中で考えていることがあるんです。
マジで明日死ぬかもしれないと思いながら生きなきゃダメだなということなんですけど。
今からめちゃくちゃ厨二病みたいなこと書きますが、私は子どもの頃から「私の人生そんなに長くないよな」って思ってるんですよね。
長くないっていうのは、20代で死ぬとか極端な感じというよりは、60とか70とかまでは生きてないだろうなってくらいのイメージですけども。
でも、そんなに長くないだろうなって思ってるからこそ、私は自分がやりたいと思ったことや、行きたいと思ったことをやらないって選択はとらないようにしていて。
今は夢中になってることでも「違うな」って思ったら簡単に手放せるようにしたくてですね。
わかりやすく言うと、執着したくないんですよね、何に対しても。
そうなるとですね、めちゃくちゃ極端な話になりますが、私自身の人生にすらそんなに執着したくないんですよ。
執着しないっていうのを「自分への評価」という部分にだけ当てはめるとすると、美容院で髪を切ってわけわからん髪型になっても、多少変な服で外に出ることになっても、まぁいいかっていう感じです。
まあ髪は伸びるし、服はよほど変じゃない限りは明日になったら誰も覚えてないだろうと。
どうでもいい訳じゃないけど、執着しないみたいな感じです。
…まぁよく考えたら、執着したくないってことにすら、執着しちゃってるんですけど。難しいですね。
とにかく、そんな生き方をずっとしてきて、今のところはその生き方を変えるつもりはないんですけど、それでも選択肢が狭まってきたなって感覚がありまして。
慎重なタイプではあると思いますが(?)、さらに慎重に選択しなきゃいけない時に差し掛かってるなと。
自分がどう生きたいのか、何になら人生の時間を使っても後悔することが少なく済むのか。
消費じゃなくて、利用することができるのか。
時間を使って、何かを得られるような選択がしたいです。
楽しい年明け
あけました。
めっちゃあけました。
もう29日ですね。2023年になってから。
1月は行く、2月は逃げる、3月は去ると言いますが、まさにその通りだなと毎年思います。
むしろ、歳を重ねるごとにそのスピードが速くなっているような気がします。
怖いですね。
とは言え、めちゃくちゃ充実した日々ではありました。
3年ぶりに源さんのライブに行って来たんです。
たっっぷり3時間ありました。
めちゃくちゃ、めっちゃくちゃ楽しかったです。
久しぶりに「生きてる〜!」って思いました。
なんか、日常を取り戻したような、そんな気分でしたね。
新卒で入った会社で頑張ってた時、めちゃくちゃ源さんの曲で励まされてたんですけど、あの時の感情を思い出しました。
当時の会社では毎日J-WAVEついてて、あの時発売されたばかりだった「SUN」がめちゃくちゃ流れてたんです。あれが私の原点です。
給料がほんっっとに激安で、とてもぎりぎりの生活だったんですけど、「なんとかなる!」って気持ちだけはあったんですよね。
今思えば、あの時に心が折れなかったのは、本当に源さんのおかげだなと。
今の私を作ってくれたのは間違いなく源さんで、その源さんが目の前でライブしてくれてるっていうのを、久しぶりに感じられて幸せすぎました。
そしてですね、源さんのバースデーの日は、ライブとは別にアフターパーティーとして配信イベントもしてくれて。
いやいや、最高すぎやしませんかと。
1月28日のライブチケットが取れず、誕生日のお祝いは出来ないなと思ってる人が多かった中で、わざわざオンラインイベントしてくれるの福利厚生が素晴らしすぎるでしょと。
私も28日は行けなかったので、この「誰も見捨てないよ」という配慮がめちゃくちゃ嬉しかったです。
しかも、オンラインイベントの最後に、ライブでも流れたエンドロール映像が流れたんです。
これだけでライブに行けなかった方も仲間だと伝えているのに、そこにライブ映像も撮り下ろしで入ってて。
最高すぎるでしょ、と。
もうすぐ1月終わりますが、頑張って生きないとですね。
2022年をまとめきれずに終わる日
大晦日になってしまいました。
早い、早すぎる。
28日に仕事納めしまして。
よし、大晦日まで2日間遊ぶぞ〜と思っていたんですが、あっという間に2日過ぎました。
家からほぼ出ず、ゴロゴロしていました。
まあでも、それもまた年末らしい過ごし方ですよね。
2022年も残り数時間。
めちゃくちゃ色々あった1年でした。
まだそんなに偉そうなことは言えない歳ですけど、多分人生で一番色々あった気がします。
特に前半6ヶ月が本当につらくて、あんまり記憶ないです。
仕事では人がどんどん辞めて送別会祭りになり、プライベート部分では推しがめちゃくちゃ叩かれるという。
マジでクソでした。
ここ数年で一番、クソだな〜って思ってましたね。
でも、6月以降がすごかったんですよね。
本当にすごい勢いで巻き返しまして。
前半での巻き込み事故がやばすぎて、もう受け身じゃダメだ、自分で動かなきゃダメだ!という気持ちでいろんなところに行ってみたら、ようやく運がぐわぁ〜って動いた気がします。
基本、ずっと私が好きなものとして軸にしてきたジャンルではありますが、音楽と映像作品に救われました。
まず最初に、普段なら行かないアーティストのライブに行ってきたんです。それが6月。
B'zと松任谷由実さんのライブです。
いつか行きたいな〜と思いつつ行けてなかったので、今年行けて本当に良かったです。
日本の音楽業界を引っ張るアーティストのライブに行ったことで、魂をもう一回震わせることができました。
ただ、松任谷由実さんのライブの日は、日曜劇場のオールドルーキーの初回放送日だったので、死ぬほど走って家に帰りました笑
あの走りは、カープの黒田さんの日シリでの最後の登板を見るために走って帰った時以来だったんじゃないかと思いますね。
日シリの時は残念ながら間に合いませんでしたが、今回のオールドルーキーは間に合いました。良かった。
そして、次に大きかったのは、とある映像作品のエキストラに参加したこと。
夏から冬にかけて複数作品に参加したんですが、人生の中でかなり大きい体験でしたね。
ライブや舞台にはよく行っていましたが、映画やドラマの本番の空気ってこんな感じなのか、と震えました。
参加したのは私がめちゃくちゃ好きな監督さんの作品や脚本家さんの作品で、それだけで感動で泣きそうでした。
作品に関われたことを一生誇りにできるな、と。
これまでこんな感情を味わったことなかったので、久しぶりに新しい感情に出会えたなと思いました。
作品が公開されるまで頑張って生きなきゃなと希望をもらえましたね。
あと、エキストラに行った作品以外でも、沢山素敵な映像作品に沢山出会たなと。
映画だと、「シン・ウルトラマン」とか、「沈黙のパレード」とか、「マイ・ブロークン・マリコ」とか。
ドラマだと、「妻、小学生になる」、「恋せぬふたり」、「17才の帝国」、「持続可能な恋ですか?」、「マイファミリー」、「ユニコーンに乗って」、「オールドルーキー」、「エルピス」とか、本当にいろいろ。
この作品達に出会えているのといないのとでは、人生が違うなと思います。
あ、映像作品って言いましたけど、舞台も良かったなぁ。今年は去年より沢山観たので。
観たのは、「hana」、「夜来香ラプソディ」、「ドライブインカルフォルニア」、「2020」、「Q」、「ルードヴィヒ」、「夏の砂の上」と、7作品。あ、そんな多くもなかった笑。
一番印象に残っているのは「2020」ですね。
高橋一生さんの一人舞台だったんですが、途中から鳥肌が立って。凄まじい舞台でした。
またぜひ、生で観たい。
あ、そろそろ紅白歌合戦が始まる時間。
今年は、 Vaundyも出ますし、藤井風も出ますし、King Gnuも、星野源も出ますから。
ワクワクしますね。
それでは、2023年も良い年になりますように。
良いお年を。
ダラダラダラダラ
こんばんは。
日曜日の夜。
もう23時です。
音楽を聴きながらブログを書くのは、やっぱり夜がいいですね。
まだ仕事残ってますが。
さて。
12月ですね。
もうあと2回日曜日が来たら2023年ですよ。
びびりますね。
今年は本当に色々大変でした、って書こうと思うんですが、大体毎年なにかしら大変なので、大変じゃない1年なんてないんですよね笑
変化し続けているので、去年と同じことしてたな〜みたいな1年にならない…
良いことだとは思いますが、ひたすらに疲れる毎日ではあります。
次から次へと、一緒に働く人が変わり、仕事が変わり、環境が変わるので。
同じことばっかりしていると気持ちがどんどん落ち込むので、私には合っている生き方なんでしょうけども。
でもこの前、学生時代からの友人に「あなたはマグロみたいに一生泳ぎ続けるんだろうね」的なことを言われてしまいました。
そういや、昔の恋人にも「少しは休んだ方がいいんじゃないの?」と説教されたことがありまして、多分周りにも休まない人に見えてるんだろうなと。
休まないんじゃなくて、ただ単に休むのが怖いだけなんですけどね。
というか休む=止まる、なのが怖い。
ジョギングの時、信号待ちしてるときに完全に止まったら、もう一回歩き出すために凄いパワー使うじゃないですか?あれが怖いんですよ。
一度止まったら、もう二度と走り出せなくなるような気がしているので。
これは結構前…学生時代からそうですけど。
以前、上司との折り合いが悪すぎて、仕事に行けなくなった時も、会社辞めてから3日目には登録制のバイトで無心で荷物の仕分けをしていて。
もっと休んだ方がいいって言葉を無視して働いてしまいました。
多分、社会のルールから外れた場所で生きたくないんでしょうね。
いや、今働いていない人がそうだと言っているわけじゃなくて、単に私が私を許せなくなる、働く以外の生きる手段をとれないだけです。
休んでるのに生きてるなんて、私はなんてダメなんだ、ズルをしているって強迫観念。
ぜっったい人って大変な時は休んで良いはずなんですけど、何もしてないのに生きてるっていうのが耐えられなくなるんですよね。
なんだろう、この「ズルい」って感覚は…?
と、色々考えていたら、一番最初にこの感覚になった時のことを最近思い出したんですよ。
保育園のとき、レクリエーションかなんかで、5人くらいでかけっこをした時の記憶でした。
その時、上位3位までに入った子だけ、ちょっとだけ豪華なお菓子の詰め合わせ(うまい棒の数が違うとかそれくらいの違いだったはず)をもらえるっていうルールだったんです。
でも、そのルールが結構曖昧で、お菓子はテーブルの上に雑に置いてあるだけなので、実質みんなその豪華なお菓子の詰め合わせみたいな方を選んで取ってたんですけど。
私はそれはどうなんだろう?と思いながらも、注意することも出来ず。
悩みながら走って、そのかけっこは3位以下になって。じゃあ仕方ないなって少ない方のお菓子の詰め合わせをとろうとしたら、友だちが「いいよ、こっち取りなよ」って豪華なお菓子の詰め合わせを私に渡してきて。
断ることもできなくて思わず受け取った後、めちゃくちゃ思ったんですよ、「これはズルだ」って。
なんてことをしてしまったんだ、ってめちゃくちゃ後悔して、何を思ったか先生に直接お菓子を返すという暴挙に出たという。
アホなんですけど、多分あの時からルールに異常に縛られて生きてるんだろうなって。
いや、ルールは守る人がいないとルールとして成り立たないですから、正しいとは思うんですけどね。
最近、なんかやたらと疲れてきてしまって。
忙しく生きなくてもいいはずなんですけどね。
なんかちょっと手を抜いてみようかな〜なんて、考えたりしています。
うわ、年末に書く話題じゃなかった。
会津に行ってきました
こんにちは。
今日は勤労感謝の日。祝日最高です。
にしても寒いですね。
朝からコーヒーを2杯も飲んでしまいました。
11月も半ばを過ぎ、あと1週間すれば12月だから当たり前と言えば当たり前ですが。
もう年末。早いです、本当に。
と、このまま書いてるとダラダラ寒いことや年末早いですね話を続けそうなので、ここからは本題に入ります。
10月〜11月にかけて色々ありました。
それを年内に書きたいなあと思ってたんです。
まず、これは10月よりちょっと前からなんですけど、人生で初めて大河ドラマを観ました。
2013年の「八重の桜」です。
最初は、一番推してる俳優の綾野剛さんが松平容保役で出てるからという安易な理由から見ようと思ったんですが、いやはやこれは想像以上でした…。
なぜ、今まで大河ドラマを観てこなかったのか?と頭を抱えています。
鎌倉殿はもう間に合わないので、来年のどうする家康はちゃんと観ようと決めました。
全部で50話あって、今ようやく38話まで来たのですが、いやーーー、すごい。
これ、ノンフィクションがベースなんですものね。
事実は小説より奇なりって言いますけど、本当にその通り過ぎます。
多少はフィクションが入ってるとはいえ、基本的には実際に150年くらい前に起きてたことだなんて信じられなくてですね。
ちなみに、八重の桜の舞台は「会津」です。
幕末の戊辰戦争を中心の出来事として描きつつ、起きる前から起きた後の明治時代までを描いています。
実際の歴史をベースにはしてるんですが、会津藩の武士達(と、家族)と藩主の松平容保がどのような心情で生きていたのか、という部分がめちゃくちゃ丁寧に描写されていて、感情移入しまくりました。
私自身、会津=会津磐梯山と赤べこって印象しかなかったんです、恥ずかしながら。
福島の山間の地域だってことは知ってはいたんですけど、ただ、知識としてだけだったんですよね。
まさか、あんな悲劇があった場所だなんて、思いもよらなかったんですよね。
戊辰戦争についても、授業で習った当時は「なんで幕府の味方する藩がいるんだろう?」って思ってたんですよ。それをめちゃくちゃ覚えてて。有名な西郷隆盛がいる薩長側を普通に応援してて。なんで幕府の肩を持つのかわからなかったんですよね。
それが、八重の桜を見てから完全に見方が変わりました。
お互いの正義があって、そこが戦争の引き金になってしまった。
会津側で物語は進むので、もちろん会津に肩入れしながら見てたんですけど、話が進むにつれて「良い未来を作りたかった」のはどの藩も同じだと気付いて。(志が高い人たちは)
涙をボロボロ流しながら見ました。
二本松少年隊と白虎隊の悲劇と、鶴ヶ城開城はもう…今見ても多分泣きます。
と、そんな状態で、たまたま仙台でBUMPのライブに行く予定があったので、会津若松に行ってきました!
ただ、今ある鶴ヶ城は1965年に再建されたもの。
それ以前の鶴ヶ城は、明治7年に政府の命令により取り壊されています。
やっぱり、それだけ会津藩がまた一致団結するのが怖かったんだろうなと思いますよね。
石垣だけは一番古いと630年前のものらしいので、石垣を中心にじっくり見てきました。
天守閣周りの石垣が一番古いそうです。
なんだか、歴史を感じます。
この石垣の中で、砲弾から逃れるように人々が暮らしていたんだなと。
そして、鶴ヶ城の天守閣に入ろうとしたら、来年の3月まで工事中とのことで…!
また来年も来いってことですね!来ます!と思って付属施設の走り長屋(ミュージアムショップ)・鉄門・南走り長屋・干飯櫓を見てきました。
そしたらですね、なんと!
八重の桜の衣装が…!展示されていました…!
もう10年ほど前の大河ドラマですけど、すごいですね…!
めちゃくちゃ感動しました。
聞いた話によると、大河ドラマの舞台になるのはめちゃくちゃ名誉なことで、大河ドラマが終わったら展示館みたいなのが作られるのは恒例なんだとか。
知らなかった〜…
と、そういう名誉なことになってるんですよと、150年くらい前に生きた会津の方達に教えてあげたくなりました。
朝敵(天皇・上皇と対立した者)と呼ばれてしまった過去を知ってしまっただけに、この大河ドラマが作られたってだけでも、花を手向けることになるのかな、と。
ちなみに、会津藩側の資料は薩長側と比べてとても少なかったそうで。
そのことだけでも、事実を知っていた人が本当に当時は少なかったことがうかがえますよね。
今みたいにインターネットはないですから。影響力がデカい人の話を信じてしまう人が多いでしょうし。
本当に悲劇としか言いようがない。
さて、そんな訳で鶴ヶ城に行った後は、てくてく歩いて、松平家代々の藩主の方が眠っている松平家墓所に行ってきました。
(ちなみに、バスが全然なくて会津若松駅から鶴ヶ城までも歩いていきました笑)
こんな感じで入り口に松平容保公の功績が記されています。
そして、この看板の奥に進んでいきますと、出てきます。
森というか山。
ジブリか?と思うほどの山。
そうなんです、お墓は山の中にあります。
ちなみに、二代藩主の保科正経公が亡くなった1657年からこの場所にあるそうで。
360年くらい前からあるって歴史がとんでもなく長いですよね。
あと、私は登った後に気付いたんです(アホ)が、熊の目撃情報もちらほら出てるみたいなので、入り口の熊避けの鈴を持っていくのをお忘れなく。
お墓見る前にお墓に入ることになる可能性があります。
山に入ったら、山道をひたすら登ります。
入り口には、松平容保公のお墓まで徒歩40分くらいかかると書いてありますが、これはお年寄りの方をベースに時間計算してるような気がします。
足腰に痛みがなく、ある程度元気な方なら、多分30分くらいで着きます。
私は時間の関係でだいぶハイペースで登ったので20分ちょいくらいで着きました。
そして、登った先にありました。
松平容保公のお墓。
見たとき、ようやく本当に実在した方なんだなと思いました。
ちなみに、容保公のお墓はほかの藩主の方のお墓からちょっと離れたところにあります。
実は容保公は亡くなったあと、最初は生まれた家(東京の新宿)近くの正受院というお寺に納骨されていたそうで、あとから松平家墓所に改葬になったそうです。
そういう関係もあるかもしれません。
お参りをしたら、山を降ります。
とても爽やかな疲れ。
山の空気がとにかく澄んでいるので、汗をかいても嫌な気持ちには全くなりませんでした。
でもさすがに帰りはバスを待ちまして、会津若松駅まで帰ることにしました笑
時間があれば、近くにあった会津の武家屋敷も見たかったです…次回はぜひ行きたい。
この日は平日だったからなのか、お年寄りの方が多かったです。
平均年齢は60代。
若い人は私くらいしかいませんでした笑
もしや、こういう場所って若者あんまり来ないのか…
そして、複数のお年寄りの方達と一緒にバスに乗って会津若松駅へ。
帰りは山菜そばを食べました。
疲れた後だからなのか、本当に本当に美味しかった…
お腹が空いてきました。
という感じで、気づいたら3000文字越してしまいました。
会津に行った話を書きたかったのです。
まだ書ききれてないような気がしますが、とりあえずは今回はこのへんで。
次は何を書こう…