音楽と生活と私

音楽や日常や映画やドラマついて主に語るブログです。

生きるために必要な変化か?

こんばんは。

 

最近、また出社するようになってきました。

 

出社したほうが良さそうな空気感に耐えられなくなってきたからです…

 

この、周りを見てとにかく察しながら働く感じ、なんとかなってほしいです…日本の会社の悪い部分ですよね。

 

 

 

察してほしいなら、私がめっちゃライブ行きたくてウズウズしていることも察してほしいです…

いや、無茶なのはわかってます笑

 

 

というより、こう書かないと、ライブに行きたくてウズウズしているはずだって書かないと、怖くなるんですよね。

 

人間って怖いですね。

なんか、慣れてきてるんですよ。

ライブがないことに。

 

3月以降のライブは全て中止になって、払い戻し作業めっちゃしたんですよ。

 

King Gnuのライブは完全に中止になって、泣いたりもしました。初ライブの予定だったので。

 

野球観戦のも含めると、10枚分くらいは紙切れになりましたよ。

その時に悲しみも寂しさも、多分振り切れちゃってるんでしょうかね。

 

その感覚が怖くなってきて、この前スーパーソニックのチケットを祈るような気持ちで買ったんです。

 

でも、中止になるって発表されても、多分もうそんなに悲しくもないだろうなって想像出来るんですよね。

 

 

…あれ?私の中のライブってこんな感じなの?って、めちゃくちゃ怖くなっています。

 

あんなに沢山行っていたのに。

あんなに行きたくて泣いて、ライブが始まっても泣いて、終わったあともめちゃくちゃ余韻に浸りながら、夜行バスに乗り込んでいたのに。

 

ライブがない、って現実を受け入れて、冷静にオンラインライブや音楽BDで楽しんでいる私がいる…

 

もちろん、今はまだライブに行くのは難しい状況で、家で楽しめるのが1番安全なことではあるんですよ。

 

でも。

でもですよ。

 

月に何本もライブに行っていたような私が、ライブがないって現実に慣れて、普通に生活出来るようになっているのは、危険なことでもあると思うんです。

 

ちょっと音楽に興味がある、くらいの感覚だった人達は、ライブが解禁されたら果たしてどれくらい戻ってきてくれるだろうか?

 

そもそも、気持ち的にも金銭的にもライブに行けるような状況ではなくなった人達も沢山いるんじゃないか?

 

そう考えると、今(現段階では数ヶ月)ライブという文化が止まっていることが、これからのライブ業界にどれだけ影を落とすのか…って。

 

嘘みたいに、恐ろしい想像が頭に浮かぶんですよね。

 

私はまだライブに行きたい。

そう思っているはずなのに、ライブが発表されても「どうせ中止になるよなぁ。」って思ってしまうし、中止になることを前提でいるからこそ、楽しみに思う気持ちも殆どなくなってしまって。

 

こうやって今いる状況に慣れてしまうのは、人間がないものに対していつまでも執着しないように、長い長い進化の中で組み込まれた脳の仕組みの一つかもしれないですが。

 

大切なものが私の中で少しずつ形を変えてしまっているような気がして、怖いです。

 

ライブがないのが普通になりつつあって、それを私の心が受け入れ始めているのが。

 

ライブに行きたい、と前と同じ気持ちで思えるようになるためには、どれくらいの時間がかかるんだろう…